夢は終わらない。

それはただ水底でゆらゆらと漂う小さな泡のように、儚く淡く。
動かない腕と、消えてしまった声で必死にわたしは叫ぶ。
あなたはだれ。
あなたはだれ。
だけど答える声はどこにもなくて。
ただあなたはさびしげに笑うのです。
それを見て、わたしはまた無性に泣きたくなります。
この気持ちはなんだというのでしょう。
ああ、きっとわたしはあなたを知っている筈、その筈なのに、どうして













□■□












仲間が一人加わった。
彼の名は、リゼルグ・ダイゼル。イギリスのシャーマンらしい。

「―――怖がらせて、ごめんね」

病院でホロホロ達が手当を受ける傍ら、リゼルグはそうにぽつりと告げた。
彼が葉や蓮達と戦っている間、はずっと竜の後ろにいたのである。
蓮が撃墜された時思わず前に出ようとしたら、「隠れていろ!」と鋭く一喝されてしまった。

それはともかく、ずっと身を潜めて無傷だった自分にまで、この少年は本当に申し訳なさそうに言うのだ。

「……っ」

ぶんぶん、とは首を横に振った。
確かに蓮やホロホロを傷つけられたことは事実だけど――
少年の新緑のような双眸には、どこか暗い影が潜んでいて。
痛みを、こらえるような。

―――しっている。
この瞳を、わたしは知っている。


これは――…


思い出すのは、蓮と出逢ったときのこと。
あの時の彼の金瞳。

そう
あの頃の蓮にどこか似ているのだ。この、リゼルグという少年の瞳は。
ただ違うのは、リゼルグには刺々しさがないということ。それだけ。

しばらくして、治療を終えたホロホロたちが帰ってきた。
リゼルグはベンチから立ち上がると、「本当に――すみません」と葉達に頭を下げた。
そして武器の修理費として小切手を葉に渡す。

「ここの治療費は、払っておきます。それと、ここに好きな金額を書いて使って下さい」

そのまま立ち去ろうとする。
しかし。

「リゼルグ」

葉が、その背にふわりと呼びかけた。

「わけを聞いてやるって言ったろ」

一行は、近くのレストランへと足を運ぶことにした。












尊敬する父と、優しい母。
モルフィンとの出逢い。
そして―――ハオ。
それは単なる過去ではない。
今も胸に息づく、癒えない傷。

リゼルグの話を聞きながら、は何だか胸の奥がざわつくのを感じた。
ハオ…
彼は一体何者なのだろう。
そんなに昔から仲間を集めていたのか。
飛行場での出来事が脳裏にちらつく。

そして、過去を話すリゼルグの―――沈んだ瞳。
もうそこからは連鎖反応だ。
蓮の金瞳と……この間からずっと続いているもやもやした気持ち。
不明瞭で、それでいて澱のように確実に溜まっていく感情。
喫茶店で真っ赤になっている彼を見てから、まだ続いている。

ちらりと蓮の方を見てみた。
相変わらず仏頂面のまま、黙って話を聞いている。
彼の態度は、あのあとからも殆ど変わっていなくて。
ただ察知できたのは――明らかな戸惑い。

(蓮はたぶん……わたしのこと、わからないって思っているだろうな)

ならばやはり自分がおかしいだけなのだろうか。
わたしが――勝手なだけ?

その瞳が、不意にこちらを見た。

(…!)

思わず視線をそらしてしまった。
でも今のは、明らかに目が合ってしまっていた。不自然すぎる。
…ますます気まずい。

だめ。だめ。
今は――リゼルグの話に集中しなくちゃ。
は微かに首を振って、蓮のことを意識から追い出した。

リゼルグの話が終わった。
見ると、ホロホロと竜が泣いている。

「――でも僕は間違っていた。こんな弱い僕に、仲間なんか出来るわけがなかったんだ。まず、僕が強くならなければ…」

はその横顔を見つめた。
暗くて、重くて―――
彼の心の闇が少しだけ顔を覗かせたように、思えた。

「おいおい、それは違うぞ」

葉が、嗜める。
だがそこへ、蓮が折れた馬孫刀を突きつけて言った。

「無理して仲間にしてやることはない。……これ以上は時間の無駄だ」

そう一方的に告げると、取り付くしまもないまま、レストランを出て行った。
どこか苛々とした雰囲気を漂わせて。
慌てて馬孫が着いて行く。

(……)

その背中を、は黙って見送った。

もやもやは晴れない。
それが一体何なのか、どうしてそうなったのか。
きちんと自分でも説明出来ないのだから、きっと蓮からしてみればもっと訳がわからないだろう。

――ぽん

不意に誰かの手が、頭に置かれた。
びっくりして顔を上げると―――そこには苦笑する葉の顔。
だがが何かを言う前に、葉はそのまま席を立つと、蓮のあとを追いかけて行った。

「………」

リゼルグが無言で俯く。

「それにしてもハオって野郎、そんなガキの頃から動いていたとはなあ…」
「一体何者なんだ?」

ホロホロや竜が、ハオに対する疑問を次々と口にしていた。
その横で――
もソファに深く沈みこみながら、ぐるぐるととりとめのない思考を巡らせていた。

蓮のことも、ハオのことも、リゼルグのことも――ぜんぶ気になるのだ。
一体何から整理していけばいいのか、混乱してしまうほど。

「なあ、

不意にホロホロが話しかけてきた。

「そういえばお前さ、あの飛行場で――ハオと何か知り合いみたいな感じじゃなかったか?」
「!」

まさかこのタイミングで来るとは思わなかった。
知り合い、というよりは…

「前に一度だけ…会ったことがあるの。すこし話して……でも、それだけなの」

名前すら知らなかった。
あの時は。

ホロホロはふーん、と相槌を打つと、

「そういやさぁ……、お前なんでシャーマンファイトについてきたんだ?」

今度こそ。
は息を呑んだ。
一度だけ、心臓が飛び跳ねる。

ホロホロは単なる純粋な好奇心として訊いてるようだった。

(そういえば何にも話してなかった…。どうしよう……どこまで話したらいいんだろう? 『星の乙女』のこと…他の人に話しても、いいのかな…?)

相変わらず『星の乙女』のことを知っているのは蓮だけだった。
あの飛行場のあとですら、何だかんだ色々と立て続けにあって、他の皆からは一切訊かれなかった。
でも――
考えてみれば、確かに不自然なことだ。
シャーマンファイトの参加者ではなく、ましてやシャーマンですらない自分が、何故このアメリカまでついてきたのか。

「………」

どこまで、話していいんだろう?
どこまでなら。

そうやってしばらく逡巡していると――

「まあ、オレは何でもいいや。と一緒に旅が出来るんだしな」

へへっとホロホロは笑って言った。
ほんの少しだけ、頬を上気させて。
自分で言った台詞に、自分で照れているように。

「――わ」

唐突に頭をがしがしと乱暴に撫でられる。
髪の毛がくしゃくしゃにされる感覚。

嗚呼
嗚呼、また――

(気を、遣わせてしまった…)

ちくりと胸を刺す、小さな罪悪感。
でも。
あのまま深く追求されたとて、答えられることはたかが知れているのだから。

今はホロホロの気遣いに、ただ感謝した。

どうしてこうも、まわりはみんな優しい人ばかりなのだろう。
ホロホロも、葉も、竜も―――蓮、も。
まるで自分だけが浮いているみたい。

「それにしても……うあぁ〜可愛いなぁ…同じ精霊とは思えんなあ」

ホロホロが、モルフィンの方に、とろんとした目を向けた。
それを見たコロロが、拗ねて飛んでいってしまう。
「あ、おい待てよ! 冗談だって!」と慌てて席を立ち、追いかけるホロホロ。

その時。
からんからん、とドアベルが鳴って、一人の少女がレストランの中に駆け込んできた。
その足は一直線に此方のテーブルを目指す。

(あ、あの娘…)

も見覚えのある少女だった。
名前は確か――ミリー。

「捜したわ、リゼルグ様!」

頬をピンクに染めて、そのままリゼルグに抱きつくミリー。
それを見て、何やら竜がショックを受けているようだったが…

どうやらミリーは何かを伝えるために、リゼルグを捜しに来たらしい。
その伝えることとは、こうだ。

「―――それでそいつら、三人がかりでリゼルグ様をやっつけるって言ったんです」

リゼルグが葉達と出会う前。
仲間探しのために傷つけたシャーマンが他にもいた…ということらしい。

「そうか、わかった。じゃあその三人のところに案内して」

リゼルグが立ち上がる。

「あ、リゼルグ…!」

慌てても立ち上がるが――

「僕一人で行って来るよ。僕がしたことだから……関係ない君達を巻き込むわけには、いかない」

大丈夫だから、と。
リゼルグは柔らかい口調で、でも有無を言わさない強さを込めて――言った。
思わずも口を噤んだ。
それを見届け、リゼルグが出口へと向かう。

「あ、リゼルグ様ー!」

ミリーが慌ててそのあとを追いかける。

「……どうしよう…」

一人ぽつんと残されたは、呟いた。












それより、少し前の話。
―――――レストランの駐車場。
そこに佇むのは、レストランから出てきた蓮と、そのあとを追ってきた葉。

「――弱いから、今は仲間がほしいんよ。笑って馬鹿をやれる仲間が」

仲間が増えたところで、結局最後にシャーマンキングになれるのはただ一人。
そう醒めた口調で言う蓮に、だが葉はやんわりと言った。

「………」

蓮は黙ってじっと葉の顔を見つめる。
そのまま――くるりと背中を見せ、武器の修理屋を捜しに行こうとした。

その背へ。

のこともあるんだろ?」
「…!」

思わず蓮の足が止まった。
振り返ると、葉が「本当に仕方ねえなあ」と呟く。

「お前もいい加減不器用だと思ってたけど、もいい勝負だなあ」
「お、俺のどこが不器用だと言うのだ!」

蓮は顔を真っ赤にして詰め寄った。
やれやれと肩をすくめる葉。
そして、あのなぁ蓮――、とまるで子供を諭すかのように口を開く。

「お前が誰よりもを大事に思ってるのは知ってる。だけどさ」

あんまり不器用だと――

「いつか他の誰かに、取られちまうぞ」

「っ…」

蓮が息を呑んだ。
いつにない葉の真剣な顔に、気圧されたかのように。
その金瞳が、僅かに揺らぐ。

「ば…馬鹿を言うな。あいつはもともと俺の物ではない」

そうだ。
彼女は、彼女自身のものだ。
他人が勝手に所有するものじゃない――

葉の声音が珍しく低くなった。

「オイラが言いたいのはそういうことじゃねえって、本当はわかってるだろ、お前も」
「……」
「なあ蓮――意地を張ってもいいときと悪い時と、きちんと見定めんと飛んでもねえことになるぞ?」
「何、を」



「―――好きなんだろ? のこと」



「な…」

蓮の目がいっぱいに見開かれる。
そうそれは
予想だにしない言葉で。
葉の台詞が、耳の奥で何度もこだまする。

「 好き なんだろ? 」

―――――――  すき  好き  スキ  

それは…一体何だ?
どういうことを、言う?
知らない。そんな気持ち、知らない。

ただ、自分は

まもりたいと、思っただけで。

心の底から、強く、強く。

まもりたい と


―――だけど今は、彼女の心がわからないのだ。
そこにあるはずなのに……掴めなくて。
すれ違うばかりで。


さきほどの彼女の動作。
確かに目が合った筈なのに。
慌ててそれが逸らされたとき、ちくりと胸を刺したのは――どうしようもなく苦い、痛み。
原因がわからないからこそ苛立ちも募る。

「……まあ、わかんねえなら、それでも良いけどさ」

葉がふぅと息をついた。
そしていつもの緩やかな笑みを浮かべる。

「とりあえずさ―――何かあったんなら話し合った方が絶対いいぞ。言わなきゃ伝わらないことの方が、世の中多いんだからさ」
「………」
「な?」

葉の柔らかな言葉に。
どうしてか何も言い返すことが出来なくて。

「っ…」

蓮はザッと踵を返すと、その場から逃げるように立ち去った。

(何なんだ……なんだというんだ)

最早歩くと言うよりは小走りに近い速さで、蓮は街中へ向かう。

どくん、どくんと心臓が熱い。
何故、何故。
彼女への想いは、「守りたい」と、ただそれだけのものではなかったのか。
放っておけないから――だから守りたいのだと。
それで自分は納得したのではなかったか。

ならば何故――

今また自分は、こんなにも己の心がわからないのだろう?

わからないのは彼女の心だけではなかった。
自分自身の心ですら……掴めない。
何故。何故。

(どうしろと…言うのだ。この俺に)

蓮は苛々と毒づいた。



しばらく徐々に小さくなっていく蓮の背中を見つめると、葉は不意に近くの木陰へ入った。
そこでごろんと寝転がる。

そして。

「あーーーー」
『よ、葉殿?』

唐突にごろごろと転がりだした主の姿に、驚く阿弥陀丸。
だがそんな視線も気に留めず、葉は相変わらず変な動きを繰り返す。

「あーーーー」
『一体どうしたのでござるか、葉殿』

ぴた、と葉の動きが止まった。
芝生に横になったまま、地面をじっと見つめて。
ぽつりと零す。

「オイラ、すっげえ生意気なこと言っちまった」
『は?』
「オイラだって蓮に意見出来るほど器用な訳じゃねえんだ。なのにオイラ…」

そのまま渋い顔で、また「あー」と唸りだす。
そんな主の姿を、ぽかんと見つめていた阿弥陀丸だったが――
やがて、ふっと微笑む。

『良いのではござらぬか。葉殿の言葉は――恐らく道蓮に届いたと拙者は思うでござるよ。葉殿が器用か否かなどとは関係なく』

そうして内心、相変わらず優しい主人に、やれやれと苦笑を零す。
本当に葉殿は―――異国の地へ来ても、変わらない。

「………ほっとけないんよ。あの二人」

なんか、見てるこっちがはらはらしてくるんだ。

そう仏頂面のまま呟く葉に、嗚呼確かに葉殿も不器用でござるなあ、と阿弥陀丸は再び苦笑した。












――からん、からん。

ドアベルの音が耳に届いた。
うっすらと目を開ける葉。
見ると、そこには何やら厳しい表情で歩いていくリゼルグの姿と、そのあとを慌てた様子でついていく――確か、ミリーだったか。見覚えのある少女の姿。

『葉殿、あれは――』

隣で阿弥陀丸も、不審そうに呟く。
それからもうしばらくすると、再びドアベルが鳴って――今度はが飛び出して来た。

「葉…!」
「おう。どうした、
「さっき、リゼルグが…」

事の顛末を話す
その穏やかでない話に、流石に葉も起き上がった。

「ホロホロ達は?」
「まだなかにいる」
「うし。…じゃあちょっくら行くか。みんなで」
「…葉……」
「大丈夫、そんな顔すんなって。もうリゼルグはオイラ達の仲間なんだ」

ウェッヘッへと笑って、葉は焦るの頭を撫でた。

「オイラ達はみんな弱くて……みんな、不器用だなあ。だから喧嘩もするし、すれ違うこともある。でもやっぱり――ほっとけないんよ。みんなみんな、お互いに」

仲間だから。
大切だと思うから。

も、そう思うだろ?」
「葉、…?」
「お前もさ……」
「?」
「―――いや」

きょとん、と見上げてくる大きな瞳を、葉は「何でもない」と首を振った。
また余計な口を叩くところだった。
くしゃくしゃにしてしまったの髪を手櫛で直し。

「ま、とりあえずさ。大事だと思う気持ちは、絶対に簡単に手放しちゃ駄目だぞ」
「葉…?」
「さーて。阿弥陀丸、ホロホロ達を呼んで来てくれ」
『御意!』

阿弥陀丸が、人魂モードのまま店内へと飛び込んでいく。
それを見届けると、葉は芝生の上に立ち上がった。
ぱんぱん、と服についた草や土を払う。
そしてひとつ、うーんと伸びをして。

「―――うし!」
「葉…」

充電完了した葉に、が口を開いた。
葉が彼女に目をやると、

「わたし…さきに行ってる」
?」
「……にてるから。わたしも、リゼルグをほっとけない」

「似てるって誰に……っておい! !」

言うや否や、その場からは駆け出す。
呼び止める声が耳に届いたが、今は気にしない。

ただ、気持ちだけが急いた。
はやく、はやく。

そうだ。
似ているから。
ほっとけないのだ。
あの暗い瞳の少年を。


わたしを拾ってくれたひとに、とても良く似た瞳を持った彼を。


「―――あーくそ…」

瞬く間に見えなくなっていく背中に、葉は頭をかいた。
その後ろでは、ようやく事態を悟ったホロホロと竜が阿弥陀丸に連れられてやって来るところだった。












□■□












見知らぬ土地では迷うかもしれないと、あれほど危惧していた自分が目的地にほどなくして辿りつけたのは、最早奇跡としかいいようがない。

「――持ち霊を失ったお前なんざ、オーバーソウルを出すまでもねえな」

大柄な男が、厭らしい笑いを浮かべて言う。
他にも初老の男と、細身の男がリゼルグと対峙している。
――どうやら彼らがリゼルグに以前やられたシャーマン達らしい。

(まさか…こんなことにまで、ハオが関わっているなんて)

は茂みに身を潜めて唇を噛んだ。
今男達が持っているモルフィンのかご――あれはどうやら、ハオから渡された物らしい。
ますますハオという男の謎が深まる。
けれど、今は。

きっとは目の前を見据えた。

「ま、待って待って!」

気配を察知したか、隣で同じく身を潜めていたミリーがの服を引っ張った。
がこの場へ到着したとき、咄嗟にミリーが茂みへ案内してくれたのだ。

「…はなして」
「何言ってんのあんた! 今出て行ったって、あたし達に勝ち目なんかないわよ!」

大体あんたシャーマンじゃないでしょ!

ミリーが至極最もな意見を述べる。
しかしは、

「もうすぐ…葉たちがここに来る」
「ならそれまで」
「だめ」

と、再び首を振った。

葉たちが来るまで、あとどれくらい? 何分? 何十分?
そんな途方もない時間、ここで指を銜えてみているなんてこと――出来ない。

「ちょ、駄目だってば!危ないわよ!」
「はなして!」

「おんやあ。これはこれは可愛らしいお嬢ちゃん達」

「!?」

慌ててバッと振り返ると――茂みを覗き込むあの男達の顔。
彼らと目が合う。
その瞬間、ぞくりと全身が総毛だった。

(しまった…)

「っ」
「きゃあ!」

乱暴に腕を掴まれると、はそのまま茂みから引きずり出された。
背後でミリーが悲鳴をあげる。

「お嬢ちゃんも仲良く混ぜてやろうや」

そう大柄な男がにやにや笑いながら、蹲ったリゼルグの元へどんとを突き飛ばした。

「つぅ…」

アスファルトに思わず突いた手が、じんと熱を帯びる。
たまらず痛みに顔をしかめていると、隣で戸惑いの声が聞こえた。

ちゃん…どうして…」

呆然と此方を見つめるリゼルグを、も見つめ返した。
まだ、大した怪我は負ってはいないようだ。
良かった…
知らず安堵の息を漏らす。

「―――ほっとけないの」
「え…?」
「友達だから、仲間だから…それもあるよ。でもね」

「にてるの。あのひとに」

「似てる? …僕、が?」
「うん」

こくんと頷いて。
は、ふわりと微笑った。

「いつも傍にいてくれたひと。大切な、大切なひと」

でも今は――
自分でも説明出来ない、そんな不明瞭な感情のままに。
突き放してしまった。

あのひとは、いつだって傍にいてくれたのに。

葉の言葉を思い出す。
『大事だと思う気持ちは、絶対に簡単に手放しちゃ駄目だぞ』

このままじゃ、だめだ。
きちんと向き合わなきゃ。
そして――謝ろう。
蓮に。



失いたくないから。



「ッでも、シャーマンじゃない君は、戦うことなんて」
「戦うことはできないよ。でもね」

守ることは、できるんだ。
そう、あの人が―――いつもそうしてくれたように。

「何ごちゃごちゃと抜かしてんだこのマセガキ共がッ!」
「っ――」

振り下ろされた拳に、咄嗟にが立ちはだかる。
ガッと音が響いて、その唇から小さな悲鳴が漏れた。
リゼルグが息を呑む。

「っこの…邪魔すんじゃねえ!」

それに気を悪くしたのか、更に加速のついた拳が、再びを襲った。
鈍い音と共に、その身体が吹き飛ぶ。

ちゃん!」

リゼルグが慌てて駆け寄る。
大の男の、それも戦い慣れした拳をまともに受けて平気な筈がない。
案の定の口端と目尻には、痣と血が滲んでいた。

ちゃん…」
「…だいじょう、ぶ」

もう頭、くらくらする。
多分痣できてるんだろうな。
蓮におこられちゃうかな。
ううん、でもそれ以前に……もう何も言ってくれないかもしれない。
――それでも。

「だいじょうぶ」

安心させるように笑って。
リゼルグの泣きそうな瞳を見つめる。
ああ、わたしもいつも、こんな顔してたのかな――

…」

リゼルグがぽつりと呟いた。
そして。

「オラオラァ! 女に守られていい気になってんじゃねえよ!」

強烈な蹴りがリゼルグの背中を襲った。
たまらず込み上げた悲鳴を――しかしリゼルグは押し殺す。
その腕の中で、が目を見開いた。
すっぽりと守るようにして抱きしめるその感触に。

「り、ぜ、る、ぐ…?」

しかし答える声はない。
その代わりに、続けざまに浴びせられる暴行に、歯を食いしばってリゼルグは耐えた。
響き渡る鈍い音と、その度に揺れる華奢な彼の身体。

「やっ…」

が身を捩る。
このままではリゼルグが危ない。
それでは、自分が此処に来た意味がなくなってしまう――

しかし。
一見細く見えるその腕だけは、決して緩まなかった。
何度痛めつけられても。

ただ、耐えて。
歯を食いしばって、悲鳴を飲み込んで。
それでもを抱きしめる腕だけは、ぎゅうっと変わらないまま。

「や…だめ、リゼルグ、離して…!」

しかしその願いも空しく響くだけ。
打ちのめす鈍い音と罵声だけがあたりに響く中――
は、確かに聞いた。
掠れた声を。

「――――――ごめん……」

ぴたりとは動きを止めた。
見開いた目を、更に大きくして。
自らを抱きしめる、その肩を見つめる。

相変わらず頭はまだふらふらしていて。
意識だけが痺れたようにぼうっとしている。
じんじんと疼く傷は、恐らく腫れるだろう。

そんな状況の中。
リゼルグの小さな小さな声だけが、何故か妙に耳に残って。


―――ふと我に帰ると、三人の男達は誰が最後にトドメを刺すかで揉めていた。
ぐったりと寄り掛かるようにもたれているリゼルグは、それでも腕を離していない。
その時。


「この馬鹿共が」
「――!?」

不意に耳元で声が聞こえたかと思うと、次の瞬間にはぐいっと引っ張られた。

あれ……あれ、あれ。
この声は――…

突然のことに、頭の中が真っ白になる。
だけどこれだけはわかる。
この声、
これは

「……蓮、くん…」

そっと地面に寝かされたリゼルグが、か細い息と共に、名を呼ぶ。
傷だらけの彼を、蓮は静かに見下ろした。

「さっさと自分の持ち霊を取り戻したらどうだ」

は座り込んだまま、呆然と見上げた。
どうして…ここにいるんだろう。
葉に知らせたその時、既に彼はいなかったのに。

どうして――?

そんなの内心をよそに、蓮がゆっくりと立ち上がった。
殺気の篭もった視線を、仲間割れを起こしたらしい三人のシャーマン達に向けて。



低く静かで、何故かとても懐かしい響きを伴った声。
ぴく、とが反応を示す。
彼の顔はここからでは見えない。

「あとで――話したいことがある」

そう一方的に告げると、くしゃりと軽くの頭を撫で、返事も待たずに蓮は駆け出した。
シャーマン達に向かって。
その背にリゼルグが何かを必死で言う。
何を言っているのかは聞き取れなかった。

ただ、胸が一杯になって。
何ともいえない感情に、埋め尽くされて。
それは後悔とも喜びとも違う、だけどもとても良く似た―――




そこでぷつりと、の意識は途絶えた。